マイナス思考…ときどき雑談

最近、ちょっとしんどいです

20.01.16 アレルビ56錠3箱

夜は遅めに寝て、朝は起きれるときに起きるという自堕落な生活が続いています。

楽ですけど、このままだと社会復帰が遠のきそうですね。

気持ちが緩みすぎないように、ぼちぼち短期のバイトでも入れようかと考えております。もちろん、多少の収入も得たいですしね。

 

こんばんは、まさおです。

 

今週は2社ほど採用面接に行ってきました。

手ごたえは、まずまずといったところでしょうか。それでも、退職理由の問いにはいつも悩まされます。

「それなりのキャリアをお持ちで、一連の話を聞いていても全くコミュニケーションに問題があるとは思えません。それなのにどうして、ここ数年は立て続けに短い期間で会社をお辞めになられたのですか?」

言い訳にならない程度に丁寧に自分の思いや当時の諸事情を説明しました。それで相手が理解してもらえなければそれは仕方がないです。縁がないだけです。

「当時の会社は...」

「私の思いは...」

ことばに詰まることなく、かと言っていかにも準備してきた言葉を並べるだけにはならないよう、多少の感情を添え抑揚をもって伝えます。

この辺は、もう社会経験ですね。自分に合わない対人がらみの仕事もそれなりにやってきたのでいい意味のズルさというか生き抜くための対話力は年相応にあるかと思います。ただ、ボキャブラリー自体はお世辞にも多いとは言えませんが。

 

とにかく、今できることは可能性を感じた企業さんを一つずつ受けるのみです。

 

1月ももう下旬です。2月に入ると、嫌な季節が近づきます。

『花粉症』

例に漏れず、わたしも結構な花粉症持ちなので薬の準備をしました。

以前までは耳鼻科で点鼻薬を処方してもらっていたのですが、その薬も効かなくなったのでそれ以降は市販薬のアレグラEXを服用してました。

その後、アレグラにはジェネリックが存在し、さらにネット販売で買うとかなり安く購入できることを知ったのでここ数年はネットでまとめ買いです。

一概には比較できませんが、ネットで買うアレルビはドラッグストで買うアレグラの1/5ぐらいの価格で買えるんじゃないのかな。

とりあえず、今年はこれで乗り切ります。

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起きるのが遅くならないように、

そろそろ寝ます。

20.01.11 転職活動始め

母が無事退院しました。術後の経過も問題なく、社会復帰も問題なく進みそうで何よりです。今後は仕事量も減らすようなので一安心です。

あとは私の方ですね。

 

こんばんは、まさおです。

 

今週から多くの社会人は仕事始めとなったかと思いますが、私の方は就活始めでした。今週は3社ほど面接に行ってきました。3社とも所謂アウトソースです。というのも私に至っては転職回数が多いこともあり一定の収入の確保をするには大手企業はほぼ無理です。大手どころか中小も難しいです。ただ特定派遣のキャリア採用であればその可能性があるという話をエージェントの方から聞いたので、幾つか受けて受かったところで天秤に掛けようと考えています。もちろんすべて受からない可能性もありますけどね。

 

一通り受けて思いましたが、やはり派遣先が気になりますよね。40歳に近づくに際し腰を据えて仕事をしたいと転職しましたが、その思いはいまだに達成されていません。それがここにきて派遣というのは皮肉な選択肢なのかもしれません。その派遣先が一生ものであればいいんでしょうけど、そんなのほとんどないでしょうしね。それどころか、数年おきにたらいまわしになる可能性もあるわけで。

ある派遣会社の面接官なんかは「入社時期は4月以降になっても構いませんか?」などという、求職者の出鼻をくじくようなことを言ってきました。まあ、事情はあるんでしょうけど結局のところ労働者の都合なんてどうでもいいんでしょうね。人が商材ですからね。人財じゃなく、ものを言う商材にしか思わない人もいるんでしょう。

 

一応、メーカーさんも受けているのでやっぱりその方がいいのかぁとは思うんですが、ここ数年でちゃんとしたキャリアを積めていないので正直不安です。運よく入社できても「そんなもんですか?」って思われると居場所がそのうち無くなるかもしれません。会社としても長けたスキルはなくとも、年相応のスキルは欲しいはずです。特に経験者採用ですしね。

とりあえず、考えても無理なのでお声掛けいただいた会社から順番に受けるようにします。必ず縁がある会社はあると信じてね。

 

今日は放課後等デイサービスのボランティアに行ってきました。仕事は辞めましたが、それ以上に生活のリズムを変えたくなかったのでこちらはなるべく続けたいです。あと今の私にとっては、社会性を保つ唯一の場所でもあるのでできる限り続けたいです。

子どもたちは今日も元気でした。ちゃんと言うことを聞いて勉強をしてくれたかは別ですが...

 

今日も遅くなりました。

もう寝ます。

 

あと、スターをつけてくれる方、コメントを入れてくれる方、ありがとうございます。拙いブログではございますが、引き続きよろしくお願いします。

20.01.01  緊急搬送

晦日に帰省しました。とは言っても育った実家、町ではないです。母が一人で住むアパートです。ちょっと諸事情を抱える我が家ですが、それでも帰る家があることは幸せです。

 

あけましておめでとうございます、まさおです。

 

会社を辞めたっていう後ろめたさもあったので本当は帰りたくありませんでした。勿論、話してもいないですし‥

それでも元気な姿をみせることは最低限の親孝行だとは思ったので帰ることにしました。普段から他人とコミュニケーションをあまり取らない母は、久しぶりに気の合う家族が来たとばかりにいっぱい話しかけてきました。他愛もない話が大半の中、時折垣間見える言葉にはいつまで経っても息子のことを気にかけているというのは感じとれました。とは言え母は、サービス業を掛け持して働いているので大型連休は逆に忙しいです。今回も家族団欒は専ら夜です。

 

元旦の朝、いつもよりは遅い出勤でしたが平生と変わりない様子で母は職場に向かいました。15時過ぎ、その勤め先から母が体調崩したので来て欲しいと言われ迎えにいきました。1人で自活して生活している母です。ただごとではないというのがすぐに察知できました。入口で会社の人が私たちの到着を待っていました。誘導され現場へ向かう途中、その方々から既に救急車を要請したと言われ緊張が一段と高まりました。向かった先には車椅子の上で痛いと唸っている母親の姿がありました。

 

救急車が来て病院へ向かいました。直ぐに精密検査を受け、先生からある病状の疑いがあるが、少し様子を見ると言われ一旦家に戻ることにしました。それから数時間後、再び病院から連絡があり病状が変わったので早く来るよう言われました。到着した病院では、状態が悪化したので病院を移って早く手術したほうがいいと言われました。元旦の夜です。手術対応までできる病院は限られています。その病院では日直の担当医が揃ってないため、別の病院へ再度搬送することになりました。次の病院でも再度検査を受け、それと並行するように手術説明を受けました。

早く楽にしてやりたいとの思いで手術の同意書にサインをすると程なく、手術が始まりました。

 

幸い基本完治する病気であることを先生から伝えられていたため混乱することはありませんでした。それでも色んなことが頭をかけめぐりました。特に救急車で搬送されている中で聞いた「何でこんなことになったんやろ‥」は今でも脳裏から離れません。

私の知る限りの母の半生は苦労の連続です。ずっと自分を殺し家族のためだけに生きてきた様な気がします。今自分が自由にやれているのは母のお陰です。どんな不合理も何一つ文句も言わず現実を受け入れる姿は異界の念しかありません。それでも、ようやく生活に目処がついてペースを落とそうとしていた矢先ではありました。

 

数時間後、先生から問題なく手術がおわったとの説明を受け暫くしたのち母との面会が許されました。術後直ぐなのでその顔には多少むくみは見られましたが、数時間前の苦しんでいた姿はそこにはありませんでした。

 

素直にホッとしました。

夜も遅かったので会話も最低限に抑えその日は帰ることにしました。睡眠をとった後、しばらく留守にする母の部屋を片付けし、勤務先の方々へ入院の為しばらくお休みする旨を伝えていきました。電話越しではありましたが色んな方々からお気遣いのことばを頂きました。周りの方々も母がオーバーペースで働いているのは知っており今回の件に関わらず体調を気遣っていることを知りました。コミュニケーション関しては得意な人ではありませんが、その働く姿により周りから一定の信頼を得ていたのかと思います。そういう意味では自分の母はある意味において越えられない壁ですし、息子が言うのもなんですが尊敬すべき対象です。

 

翌日、入院に必要なものを取り揃えて帰る前にもう一度母を見舞いに行きました。手術から1日経った母はさらに顔色が良くなり他愛もない会話も出来るようになっていました。

「時間気にせず、ずっと寝たかったんや‥」

「本当はかなり無理しているのは分かっとったんや‥」

良いきっかけではなかったですが、希望が叶って良かったです。

もちろん、諸事情があって無理をしていたことも知っていますし、決めたことに対してはかなり頑固で頼まれたら断れないことも知っています。しかし無理をすることで結果的に色んな人に迷惑をかけることも理解したと思うので今後は、もう無茶をするのはやめてくれるでしょうしそうなることを願うばかりです。

 

帰り際、母は一言私に声を掛けました。

「仕事頑張れや‥」

元々私が仕事人間でそのことにプライドを持っていたのを母は知っており、近年はそれが拗れてうまくいってないことも知っています。多くは話しませんでしたが、そのことはずっと気にかけてくれているようです。残念ながら今はその言葉に沿った生き方は出来てませんが、今年こそはなんとか自信を戻して次は胸を張って帰りたいです。

 

今回、色々な方の力添えのお陰で母は最悪の事態を免れることができたかと思います。関わった方々には大変感謝しております。母に代わってというわけでもないですが、自分が出来ることで社会に恩返しが出来るよう努めていきます。まあ、その前にまずは再就職をすることですね。

とりあえず明日ボランティアの要請があったので行ってきます。

 

今日も無事生きたことに感謝して、

そろそろ寝ます。

19.12.28 ツアーファイナル

 

知らない土地に行ってウロウロするのが子供の時から好きです。旅行が好きというのとはまたちょっと違います。実際、観光地に行ってもあまり長居はしません。神社に行ってもお参りはしません。写真数枚撮って終わりです。

 

こんばんは、まさおです。

 

先週末、高速バスに乗り神戸に向かいました。夜のメインイベントまで時間があったので街を散策することにしました。

スマホでグーグルマップを開き、比較的近い北野地区に向かうことにしました。

三宮から山側へ北上し坂を上ると観光客でにぎわっていました。とは言え時代でしょうか、明らかに隣国の人の方が多かったように見えました。特に有料施設に入るわけでもなく、数枚の写真を撮ってその場を去りました。私にとっては知らない街をウロウロしてその街の空気を感じることができればそれで十分なのです。ただ自然は好きなので、それが感じられる街は尚いいですね。そういった意味では神戸という町は海にも山にも近くすごい興味のある街でした。

 

イベントの時間も近くなったのでそこから海側へ南下して会場へ向かいました。

今の時代、スマホがあれば大体の場所へは迷わずいけます。基本的に歩くのが好きな自分にとっては非常にありがたい話です。

会場へは開場時間前に着きましたが、既に多くの熱心なファンが待っていました。

HOTEI GUITARHYTHM  TOUR 2019 “REPRISE” FINAL』

本音を言えばライブなんて正直疲れるだけです。映像で見たりイヤフォンで聞いたりした方が正確な情報が得られますし、効率よく音楽を楽しめます。

でもなんでしょうね。

同志との一体感だったり、スピーカーから感じる音圧だったり...

結局は、非日常を味わいたいんでしょうね。

あと、周りの人たちの活き活きしている顔を見るのも好きなんです。開演前の期待感や開演後の満足感だったりね。

 

開場後すぐに指定の席に就きしばらく待っていると、2列前のある一角がざわつき始めました。状況を理解しようと様子を見ると、コブクロの小渕さんがアリーナの一般席にいるのが分かりました。メディア等で一ファンであると公言していたのであり得る話かなとは思いますが、それでも所謂有名人に間違いありません。その有名人が関係者席ではなく一般席にいたことでほんとのファンだなと再認識しました。アンコール前も座ることなく一緒にコールしてましたしね。

学年でいうと一個先輩なので同世代にはなりますが、そこはさすが有名人。横顔しか拝見しませんでしたがすごく若く見えました。まあ、自分が老け顔なだけかもしれませんが...

 

そうこうしているうちにライブが始まりました。

 

やはり、彼は私にとってのギターヒーローでした。

その姿は力強くそして時には繊細で、単にギタリストという枠に収まるだけではなく表現者としてのパフォーマンスがすごかったです。第一線で活躍するというのはそういうことなんだろうなと改めて認識させられました。

もう四半世紀以上、その音楽を聴き続け20年以上ライブに通っています。歳を重ねるにつれ少しずつ音楽に対する興味も薄れているのは事実ですが、彼の音楽は意味が違います。自分の人生とリンクしているんですね。多感な時期に出会った衝撃は歳を重ねてもどこか心の片隅に宿り続けるんですね。

そうして色んな思いを巡らせているうちに自然と涙が溢れてきました。もうここ数年は何故かライブ中に泣くことが多い様な気がします。結局のところ一杯一杯なんでしょうね。感情のコントロールが。平生を装ってはいますが。

でも来年から心機一転新しいスタートを迎えるにあたって、こころのデトックスができたような気がしてよかったです。

 

ライブの余韻に浸りながらそのあとは晩御飯を食べに行きました。特に食にこだわりがあるわけでもないので一人でも入りやすい○○壱番屋にしました。

『野菜三昧カレー』を頼みました。もうおじさんなので外食においても野菜はなるべく取るようにしています。でも最近は間食も多いのでちょっと太り気味です。来月からは失業しちゃうのでセーブですね。あと、もう少し運動をしようと思います。精神も含めて健康第一ですからね。

 

その日は温泉付きのカプセルホテルに泊まりました。

疲れと安堵感の中、早く就寝することができましたとさ。

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19.12.27 みなさんに感謝

6ヶ月の短い旅は終わりました。

最後に笑顔で挨拶まわりが出来たことが最大の収穫です。今となっては感謝の言葉しかございません。これで新しい一歩が踏み出せそうです。

 

こんばんは、まさおです。

 

昨日は歓迎会&送別会&忘年会でした。結果を残さず辞めていくわけですからあまり良い気分ではありませんでした。だからといって欠席というのも人としてまずいのでとりあえず参加しました。

しかし、実際フタを開くと社長他、取締役の方々が軽く仮装して出てきて「辞めていく君には罰として今日はこれを付けてもらう」と言って『本日の主役』のタスキを私にかけました。一瞬ハッとしましたがほどなくこわばっていた緊張が解けました。全くもって嫌味のない心憎い演出がそこにはありました。

短い間でも会社に関わってくれた人間には礼をもってつくす。理想の形ではありますが、会社組織となるとこれを実践するのが難しいはずです。それを上の方が自ら実践している姿に感服しました。

会の終わりに有志の方から贈呈品をいただき、挨拶の場を設けてもらいました。

始まる前は「お力になれずにすみません」と言おうと思ったのですが、先ほどの件もありネガティブなことを言うのはやめました。代わりに感謝を述べるとともに会社の成功を陰ながら応援していますとの言葉で締めました。それは飾りのない素直な気持ちだったかと思います。

 

日が変わり今日はちょっと仕事をして年末の掃除し、社内の方々へひとりひとり挨拶をして回りました。ここに至るまではすごいおっくうでしたが、すべての挨拶を終えると何だか清々しい気持ちになりました。それとともに、次は何だか成功するような気分にさえなりました。

というのも、その前の二つの会社は理由はあったにせよ逃げるように会社を辞めていたからです。終わりがマズいと次のスタートなんてそんなうまくいくはずないですよね。

いろんな人と話しているうちに少し寂しい気持ちにさえなりました。最後になって本音で話している自分がいて、「何故これがもう少し早くできなかったのだろう」と少し悔しい気持ちにもなりました。

でももう新しいスタートを切ったので過去にとらわれるのではなく自分が今できることをやろうと思います。背伸びせずにね。

 

この会社で大成することはできなかったですが、ここ数年悩んでいた自分を新しいステージへ導くキッカケになったような気がします。この気持ちがホットなうちに次の準備をどんどん進めていこうと思います。

 

遅くなったのでそろそろ寝ます。

今晩はよく眠れそうです。

 

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19.12.21 年内最後のボランティア活動

うちの会社、退職届を出すには3名の承認印が必要です。

自分で貰いに行かないといけないんです。

ちょっとおかしいです。

寿退社ならまだしも、自己都合で辞めるんでお互い気まずいじゃないですか。

「退職するんで、承認印いただけませんか?」

やっぱり変ですね。

雇用契約は会社と雇用者、双方の同意が必要ですが、退職は個人の自由のはずです。

何故辞めるのに3人もお伺い立てないといけないんでしょうか。

ある種、憲法で保障されている職業選択の自由に反するのでは。

上長に話が通っているんだから事務方に提出するだけでいいのでは...

腑に落ちませんが仕方がないです。

 

こんばんは、まさおです。

 

先週末は前回の続きのイベントをお手伝いすべく、放課後デイサービスへ行ってまいりました。

masao4646.hateblo.jp

役回りは屋上でピザを焼くお手伝い。前回もやった内容なので段取りはスムーズにいきました。裏方なので、子どもたちが活躍している姿を見ることはできなかったのですが、それでも時折遊びに来てくれたり、親御さんが挨拶に来られたりして賑やかでした。

この施設ではいろんな背景を持った子がいます。周りの子とうまくいかなくて、学校に行けていない子もいますし、心の成長が周りの子に追いつかなくて、教室で孤独になってしまった子もいます。そんな子たちもこの施設にいる間は生き生きしているように見えます。彼らにとってはかけがえのない大切な場所なわけです。

もちろん私にとっても大事な場所です。活き活きした子を見ているとこちらも少し元気づけられますから。

 

イベント終了後、軽く打ち上げをしました。スタッフを見渡すとボランティア、バイトともに若い子が多く、自分みたいなおっさんはほぼいません。始めた当初はすごく場違いな感じがして居心地が悪かったですが、もう一年も経ちあとから入ってきた子もちょこちょこ出てきたので今となってはベテランのおじさんです。

ただ、話の中で数人が来年新社会人となるため卒業ということを知りました。少し寂しい気もしましたが彼らにはエールを送りたいと思います。子供にいたわりを持って接してあげられるいい青年たちなので、是非ともそれぞれの幸せを掴んで明るい未来を生きていただきたいです。

自分のことでは悲観的になりがちですが、彼らをみると「まだ世の中捨てたものじゃないな」とちょっと前向きになれます。年内最後のボランティア、寒空の下ほっこりしながら帰りましたとさ。

 

夜遅くなりました。

もう寝ます。

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19.12.18 最後の課外授業

会社にいるだけで、怠い、眠い。異常な程に。気持ちの問題だけなのだろうか。

体調に少し不安を覚える。

それでもあと1週間。

何とか乗り切ろう。

 

こんばんは、まさおです。

 

昨日は、ボランティアで日本語を教えている生徒さんと夜ご飯を食べに行きました。月末に関東へ引っ越すということなので最後は送別の意味も込めての課外授業です。場所は生徒さんのチョイスで某手羽先屋さんでした。

2ヶ月半と短い期間で十分な内容とは言えなかったかもしれませんが、生徒さんは使える限りの言葉を駆使して感謝してくださいました。ありがたかったです。拙い言葉でも気持ちは十分受け取れました。

「関東に来た際にはまた食べに行きましょう」とか「非常に親身に教えてもらえて楽しかったです」との言葉を耳にするに寂しい気持ち湧いてきました。

いい歳したおっさんが若い子を前に感傷的になるなんて...

お恥ずかしながら情けないもんです。

 

ここ1,2年は強い自分は影を潜め完全にメンタルが弱ってしまっているので人に依存する部分は正直多いです。このボランティアだって「教えている」というよりは「教えさせてもらっている」といった方が正しい表現なのかもしれません。要は相手してもらっているのです。その分受け入れてほしいという気持ちもあり、『どうすれば、日本語をより理解してもらえるか』、『楽しんで学んでいただけるか』という部分にも注力してこれたかと思います。結果的にお互いにとっても良かったとは思います。

 

「生徒さん、また会う機会はあると思うのでその際にはたくさんお話ししましょう。お元気で。」

 

また遅くなりました。

もう寝ます。

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