マイナス思考…ときどき雑談

最近、ちょっとしんどいです

20.01.01  緊急搬送

晦日に帰省しました。とは言っても育った実家、町ではないです。母が一人で住むアパートです。ちょっと諸事情を抱える我が家ですが、それでも帰る家があることは幸せです。

 

あけましておめでとうございます、まさおです。

 

会社を辞めたっていう後ろめたさもあったので本当は帰りたくありませんでした。勿論、話してもいないですし‥

それでも元気な姿をみせることは最低限の親孝行だとは思ったので帰ることにしました。普段から他人とコミュニケーションをあまり取らない母は、久しぶりに気の合う家族が来たとばかりにいっぱい話しかけてきました。他愛もない話が大半の中、時折垣間見える言葉にはいつまで経っても息子のことを気にかけているというのは感じとれました。とは言え母は、サービス業を掛け持して働いているので大型連休は逆に忙しいです。今回も家族団欒は専ら夜です。

 

元旦の朝、いつもよりは遅い出勤でしたが平生と変わりない様子で母は職場に向かいました。15時過ぎ、その勤め先から母が体調崩したので来て欲しいと言われ迎えにいきました。1人で自活して生活している母です。ただごとではないというのがすぐに察知できました。入口で会社の人が私たちの到着を待っていました。誘導され現場へ向かう途中、その方々から既に救急車を要請したと言われ緊張が一段と高まりました。向かった先には車椅子の上で痛いと唸っている母親の姿がありました。

 

救急車が来て病院へ向かいました。直ぐに精密検査を受け、先生からある病状の疑いがあるが、少し様子を見ると言われ一旦家に戻ることにしました。それから数時間後、再び病院から連絡があり病状が変わったので早く来るよう言われました。到着した病院では、状態が悪化したので病院を移って早く手術したほうがいいと言われました。元旦の夜です。手術対応までできる病院は限られています。その病院では日直の担当医が揃ってないため、別の病院へ再度搬送することになりました。次の病院でも再度検査を受け、それと並行するように手術説明を受けました。

早く楽にしてやりたいとの思いで手術の同意書にサインをすると程なく、手術が始まりました。

 

幸い基本完治する病気であることを先生から伝えられていたため混乱することはありませんでした。それでも色んなことが頭をかけめぐりました。特に救急車で搬送されている中で聞いた「何でこんなことになったんやろ‥」は今でも脳裏から離れません。

私の知る限りの母の半生は苦労の連続です。ずっと自分を殺し家族のためだけに生きてきた様な気がします。今自分が自由にやれているのは母のお陰です。どんな不合理も何一つ文句も言わず現実を受け入れる姿は異界の念しかありません。それでも、ようやく生活に目処がついてペースを落とそうとしていた矢先ではありました。

 

数時間後、先生から問題なく手術がおわったとの説明を受け暫くしたのち母との面会が許されました。術後直ぐなのでその顔には多少むくみは見られましたが、数時間前の苦しんでいた姿はそこにはありませんでした。

 

素直にホッとしました。

夜も遅かったので会話も最低限に抑えその日は帰ることにしました。睡眠をとった後、しばらく留守にする母の部屋を片付けし、勤務先の方々へ入院の為しばらくお休みする旨を伝えていきました。電話越しではありましたが色んな方々からお気遣いのことばを頂きました。周りの方々も母がオーバーペースで働いているのは知っており今回の件に関わらず体調を気遣っていることを知りました。コミュニケーション関しては得意な人ではありませんが、その働く姿により周りから一定の信頼を得ていたのかと思います。そういう意味では自分の母はある意味において越えられない壁ですし、息子が言うのもなんですが尊敬すべき対象です。

 

翌日、入院に必要なものを取り揃えて帰る前にもう一度母を見舞いに行きました。手術から1日経った母はさらに顔色が良くなり他愛もない会話も出来るようになっていました。

「時間気にせず、ずっと寝たかったんや‥」

「本当はかなり無理しているのは分かっとったんや‥」

良いきっかけではなかったですが、希望が叶って良かったです。

もちろん、諸事情があって無理をしていたことも知っていますし、決めたことに対してはかなり頑固で頼まれたら断れないことも知っています。しかし無理をすることで結果的に色んな人に迷惑をかけることも理解したと思うので今後は、もう無茶をするのはやめてくれるでしょうしそうなることを願うばかりです。

 

帰り際、母は一言私に声を掛けました。

「仕事頑張れや‥」

元々私が仕事人間でそのことにプライドを持っていたのを母は知っており、近年はそれが拗れてうまくいってないことも知っています。多くは話しませんでしたが、そのことはずっと気にかけてくれているようです。残念ながら今はその言葉に沿った生き方は出来てませんが、今年こそはなんとか自信を戻して次は胸を張って帰りたいです。

 

今回、色々な方の力添えのお陰で母は最悪の事態を免れることができたかと思います。関わった方々には大変感謝しております。母に代わってというわけでもないですが、自分が出来ることで社会に恩返しが出来るよう努めていきます。まあ、その前にまずは再就職をすることですね。

とりあえず明日ボランティアの要請があったので行ってきます。

 

今日も無事生きたことに感謝して、

そろそろ寝ます。